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第5回 天狗面の歴史
2008 / 06 / 16 ( Mon )
おひさーっ!!(*`゚∀´)ノ)д゚)ペショッ
WEBタンの笠原です。
え??
長い間なにしてたかって???
そりゃ~も~「|(|;|ω|;|)|監禁!」なめにあってましたよ((((;゚;Д;゚;))))カタカタカ←うそです。
ほんとのとこは
諸事情でというこてどよろしくお願いします。
ねっ いいんちょ(*´∀`*)~
というわけで
かな~りおひさになってしまっていた「天狗面の歴史」について書いちゃいました。
天狗面の歴史を「黒文字」
青年会議所の歴史を「青文字」
にわけ一覧にまとめてみました。
ざ~っと見てみると
青年会議所では
平成2年以降、天狗面へは直接的支援は行わず
別路線の活動が主となり
天狗面へは、支援として活動しているとが見てとれます。
そんなこんなで
今回も、かな~り長いです□_((ヾ(・ω・*)カタカタ
またやっちゃいました(o-∀-)ゞェヘ♪
お体の弱いかたには…ちょっと…(((゜д゜;)))...←これはうそです。
でも
興味のある方はぜひ最後まで読んでみてくださいね(* ^ー゚)ノ 
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第4回 天狗面の歴史
2008 / 06 / 02 ( Mon )
おはようございます。
こちらも、すいぶんご無沙汰になってしまいましたが
おぼえてます?
おぼえてますよね(*´ー`) =3
またまた、歴史について書きたいと思います。
では、さっそく本題です。
前回は「沼田祇園祭(おぎょん)」について書きましたが
今回は「沼田祭り」について書きたいと思います。

あれ?「おぎょん」「沼田祭り」いっしょじゃん
と思った人いません?
実は、いっしょではないんですよ。
一つになって今のように「沼田まつり祇園祭(通称 沼田まつり)」となったんですよ。
今回は、それについてチョッチ詳しく書きたいと思います。
では、どぞっ (o ̄∀ ̄)ノ”ぁぃ
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第3回 天狗面の歴史
2008 / 05 / 20 ( Tue )
きのうはみなさんお疲れ様でした(。・・。)(。. .。)ペコリ
てか
俺様のいないトコでうまいもん食ってないよね~|鉄扉|ョ゚゚´)ジィ~



なんてね((p(*・∀・*)q))♪
さて、きのうはおまけをかけなかったので
今回は、天狗面の歴史について書きたいと思います□_((ヾ(・ω・*)カタカタ

天狗面の歴史を考えたとき「沼田祭り(おぎょん)」の歴史は切り離せません。

ワッショイ♪(´∀)ノ━( ・ω)ノ━【☆*★天狗★*☆】(´Д)ノ━(・∀)ノ━ワッショイ♪

って、わけですね。
でも、ここで先に書かせてもらいますが
「沼田祇園祭(おぎょん)」と「沼田祭り」は厳密には別なんですよ。
しってました?
詳しくはこれから何回かに分けてご紹介していきますが
そう考えたとき「天狗みこし」は
「沼田祭り」に分類されるんでしょうね(o・ω・))-ω-))うん
それでは
今回は一番歴史の長い「沼田祇園祭(おぎょん)」について一気読みです(*`Д´*)ノ ぉぅ!!
年表にしてみましたので読んでみてくださいね。
それでは行きますよ~ε=ε=(((((((( *・`ω・)っ
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第2回 天狗面の歴史
2008 / 05 / 15 ( Thu )
今回は、迦葉山の天狗様の由来についてご紹介したいと思います。



曹洞宗に改宗の天巽禅師に随伴した高弟に中峯尊者がおりました。
非凡の高僧で伽藍造営の大事業から布教伝道まで大いに努め禅師を助け
又、山頂の岩屋やけわしい岩山など人力では到底登れないような所まで開き、修行者を導くなど非凡な神通力を持っていました。
十年一日のごとくその容貌は変わることなく神童といわれ、天巽禅師が二世大盛禅師に住職を譲るや、中峯尊者は

  「実は私は迦葉尊者の化身である。
   衆生済度のため、かりに姿を変えてこの世に現れたのであるが、
    なすべきことは終わったので、
     今から昇天し末世衆生のため苦しみを除き、楽しみを与えよう」

と両禅師に別れを告げ昇天され、その後に天狗の面が残されていたといわれています。
その由緒ある場所が境内正面の案山峰と伝えられています。

神童、中峯を祭って中峯尊者と申しますが一般には「お天狗さま」としてあがめられ、
それ以来、時が経つとともにそのご利益は益々高く、開運守護の天狗さまとして知られ「迦葉山信仰」となってその功徳をたよりその御利益を信じ、天狗面を奉納する習わしとなり、近郷近在からはもとより全国的に参拝の善男善女はその数を増し、天狗のお山として賑わっています


参考資料:沼田市観光協会、他

-かんりにん-
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第1回 天狗面の歴史
2008 / 05 / 14 ( Wed )
みなさんに天狗面の製作する上で
天狗面の歴史についても知ってもらおうと思い不定期に書きたいと思いますのでよろしくお願いします。
それでは第1回として
まずは、天狗面を知る前に天狗の大元なる
迦葉山(かしょうざん)
についてご紹介したいと思います。

■ 迦葉山龍華院弥勒寺(かしょうざんりゅうげいんみろくじ)

天狗の霊峰は迦葉山は、天狗のお山として知られる当山は、谷川連峰の東、沼田市より16キロに位置し、関東の霊域として名高い。
IMG_5447.jpg

■嘉祥元(848)年
この年に開創。
野国の大守、桓武天皇の皇子葛原一品親王が比叡山三祖円仁慈覚大師を招き、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開かれました。
唐より帰朝まもない高僧慈覚大師は、大乗経中三会の法「迦葉仏鶏足山に出現し、不生不滅を示し、弥勒下生龍華院を期す」より、遠くお釈迦様の後を継がれた迦葉尊者が第一回の経典を作られた結集の地、鶏足山と山なみが同じであるとし、初の千人供養法会を開き、迦葉山龍華院弥勒護国寺となる。
そして北関東黎明の基となり49院を擁し政治文化野中心として栄えました。

■康正2年(1456)
改宗開山天巽慶順禅師行脚の途、弥勒中慈雲律師の高徳を慕い来山しました。
慈雲律師は天巽禅師の戒定慧の三学、座禅の徳風に感得して六百年の天台宗の宝燈を譲り入定せりという、これによりて曹洞宗となり迦葉山龍華院弥勒護国禅寺と号す。

天巽禅師に随身する神童に中峯あり、十年一日の如く禅師に師事し伽藍の造営から布教法にに尽くした。常に容顔変わることがなかったという。禅師が二世大盛禅師に譲られるや「吾、迦葉尊者の化身にて己に権化化業は終わったよって今後は永くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん」と誓願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。

時が経つに従いその霊験は益々応所に現れ、参拝者の絶えることなく鎮守中峯大薩として祭られ迦葉山の信仰の中心となっています。

又、徳川初代将軍の祈願所となり朱印百石、十万石の格式を有し、七百十八町歩が下賜されました。
当時の面影を残すものとして、旧参道を上り切った右側に天然記念物馬隠れの杉があります。
この杉より内は三蔵密教の霊域にて城主でも馬乗りを禁じ、馬が隠されても疑わずとして名付けられたものです。
特に近年は霊鳥「仏法僧」の声を聞きつつ静かに座禅堂に坐し、古く迦葉尊者の禅風を慕う研修会や、一夜俗塵をはらい心静かに家内安全や開運を願う御参籠者にて賑わっています。

曹洞宗に改宗され、徳川初代将軍の祈願所として御朱印百石・十万石の格式を許されました。


調査資料をそのまま写した部分が多いのでわかりづらいかな?
しかも長いしね(@^_^)ゞ
でも、最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
では、次回は「天狗様の由来」について書きたいと思います。
それでは、また。 

-かんりにん-

参照資料:沼田市観光協会、沼田市ホームページ他
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